最近、#おちんちんよしよしあるある という身もふたもないワードについて、連続投稿して、コメント欄にてあれこれ皆さんと意見交換していた。
"クソバイス"=一見アドバイスと見せかけて、上から目線で自分の持論を押し付ける行為
"マンスプレイニング"=一般的には「男性が、女性を見下すあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」man+explain
クソバイスする、マンスプレイニングおっさんに対して、
「すごいですね、知りませんでした、勉強になります〜」などと言って、
女性が立てることによって、感情ケアしがちなことを
#おちんちんよしよしあるある という、
などと話題にしていたら、
DAYs JAPAN の広河隆一さんの性暴力スキャンダルがでた。
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個人的には、広河さんのチェルノブイリや福島のレポートやパレスチナ報道など、先見性のあるジャーナリズムに対して、応援したい気持ちを持っていたので、とてもショックだった。
性暴力の被害者の救援をしていた谷口真由美さんの文章や、被害者の方の告発文章を読む限りでは、残念ながら被害はあったんだろうと推測される。
広河さん本人からの簡単な謝罪文書は発表されたけれど、詳細説明を待ちたい。
その釈明の内容と会見の時の態度を見聞きすれば、大抵のことは透けて見える。
成功してる時や、功績の報道のときより、スキャンダルや謝罪会見のときに、よりその人の本質がわかる。
広河さんのこれまでの仕事の功績から、
「信じられない」
「はめられたのでは」
などという人もいるかもしれないけれど、
そこはいくら仕事が素晴らしくても、そう表明することで、勇気を出して告発した被害者の方々の思いを踏みにじることにつながることを理解しなくてはと思う。
性犯罪は性犯罪だ。擁護の余地は一切ない。
全くの冤罪、作り話なら、本人が認めないだろう。
私もDAYsは応援していたので、信じられないし、信じたくないという人の気持ちもわかるけれど、
そういう「広河さんに限って」という周りの、広河さんの仕事に対する尊敬意識が、この犯罪を隠蔽する力になっていた可能性がある。
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ずっと被害を口に出せずに飲み込んできた被害者の方々の気持ちを思うと、言葉が出てこない・・・
自分の身に起きた出来事を言い出せないことの辛さ、
受け入れてしまったことに対する自責の念と嫌悪感、
「明らかにしたら、自分の夢が断たれてしまう」といった恐怖、
道を諦めて口をつぐんだときの絶望感、などは計り知れない。
日本では、性被害を受けた被害者を責める傾向が明らかにある。
「抵抗しない、拒否しないあなたが悪いのでは?」
「全力で抵抗しないのは、同意したも同じ」
と被害者がまるで悪いかのように責められる。
そう思うのは、安全な場所にいて、そういう危険な目、意にそぐわない事態、自分の自尊心が破壊されるような恐怖、仕事を失うかもしれない立場に突き落とされたことのない人がいう言葉だと思う。
人は想定してなかった危険やショックに晒されたとき、思考停止してしまうこともある。
安全、安心な場所にいる人から見たら、何故?と理解しがたい不可解な行動をとってしまうことがある。
仕事での上司-部下、取引先などの関係や、教育などの師弟関係にあったら、今後の立場を考えて、目上の人からのアプローチをあからさまに拒否できない、しにくいという事情もあると思う。
しかも、裸のときの写真も撮られている。関係を拒否したら、写真を見せしめにバラまかれたら…という恐怖もあるだろう。
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この「仕事関係に差し障るから、拒否できない(と思い込まされる)」という力関係があるにもかかわらず、
この関係を「枕営業」と表現することも暴力だと思う。
不本意な性的関係を、圧倒的な支配関係の中で結ばざるを得ない(と思い込まされる)ことを、
あたかも被害者が進んで「営業」しているかのように表現しているからだ。
こうやって、被害者はセカンドレイプにさらされる。
問題なのは、被害者が明らかに「拒否しなかった(できなかった)」、「明確な意思表示をしなかった(できなかった)」ことではなくて、
権力関係にある異性&同性の個人的性的接触において、「同意の確認」が権力を持った側の恣意的解釈によってなされてしまうことがあることだ。
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性と政と生は一体で繋がっている。
セックスは、愛し合う2人にとって、自分と相手が一体化できるとても素晴らしい行為であり、高次のコミュニケーションであり、志向体験であり、
新しい生、子どもを育み家族を形成しうる未来につながる行為であると同時に、
基本の「合意の確認」が蔑ろにされたり、一方の思い込みに流されると、たちまち相手の人権を踏みにじる犯罪にもなってしまう。
天国行きと地獄行きの表裏一体。
集団の中で、パワーを持った人はそれなりに魅力を持った人であることは事実だし、上下関係を利用したり、仕事上の尊敬感情を担保にして性的関係を迫ることが、「自由恋愛関係」と本人の主観の中で区別つかなくなっていたのだろう…
まさに、組織内の絶対権力のトップにいて、周りからの #おちんちんよしよし に慣れすぎていると、認知が歪むというか。
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だから女性の皆さん、
「男性はおだてて、気持ちよくさせて、手のひらで転がしてればいいのよ」といった、
女性による#おちんちんよしよし的感情慰撫行動を、無自覚に男性が求めるまま与える行為はもうやめときましょうよ。
勘違い野郎を再生産するだけです。
むやみに戦闘態勢になる必要もないですが、
一対一の人間同士として、指導ー被指導関係はあっても、人間的には対等だというところを出発点にしましょう。
言いにくいことも、あえて言うことができる関係が、人間として対等な関係。
相手を貶める目的、ためにする批判ではなく、変化を促すための提案をやれるように。
それは、立場が上のひとが、下からの提案や批判をどれだけ受け入れてくれる雰囲気を作ってるか、受け止める度量があるかがカギ。
性教育と共に、豊かな性を大人が語ること、主権者教育と議論の習慣。
一朝一夕にはできないだろうけれど、性の豊かさと反面の怖さを語り合い、自分の思いを概念化して伝える、相手の立場を想像する訓練をする、同意の確認の大切さを説くこと以外に、このような性被害を防ぐことはできないのでは。
豊かに生きるには、性と政は避けては通れない。