靖国神社というと、戦死した人を「英霊」と奉っていて、戦争を美化しているような気がして、以前は毛嫌いしていた場所でした。軍服を着ている人が「お国のために死んだ」戦死者を持ち上げているイメージ。
実際に行ってみると、保守系の人がもっとカジュアルに、先祖供養のような気持ち、お正月、初詣に神社にいくのと同じ感覚でお盆に靖国神社に来てるんだな、と。右翼思想を持った人というより、保守派の普通の人が来てるというのが実態でした。
でも、私はそれでもなぜ戦死した人だけ奉っているのか、ピンとこない。戦争で亡くなった人は、原爆で亡くなった人も、空襲で亡くなった人も、戦争反対の声をあげて弾圧されて亡くなった人もいるのだから、全ての人を供養したらいいんじゃないかとの思いを拭いきれない。
関東大震災で亡くなった人の中には、差別されてデマで殺された朝鮮の人も入ってる。「英霊」だけではなく、無念のうちに亡くなった全てのひとの鎮魂を祈ればいいのじゃないか、と。
そんな中、友だちのあきもっちゃんがあげてた投稿に共感したので中の言葉を一部コピペシェアします。解体業をする若い親方の言葉が秀逸。
再開発で古い街並み、商店街が壊され、どこも同じキレイな外資系チェーン店が並ぶビルに取って変わられるなか、彼らは自らを「消しゴム」に例えてる。
この人は真理を見抜く目、そしてそれを言語化する詩人の心を持っているな。
戦死したり、災害で亡くなった、名もなき人への供養の気持ち。50センチ掘れば、そこには人骨が埋まってるところに私たちは住んでいる。
生は死といつも背中あわせ。目に見えない霊魂の存在を、私はなんとなく感じてる。
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解体業の人たちの話には、大手ゼネコンが決めた再開発の一番末端で、街の記憶を消してきた人たちの思いがインタビューで語られていた。
曰く、東京下町では50センチ地面を掘っただけで今でも人骨が沢山出てくる。粉々に砕けた煉瓦の層があって、そこに未だ沢山埋まっているそうだ。「おそらく東京大空襲か、関東大震災の犠牲者のもの」と。
「自分たち(解体業)は消しゴムなんです。自分らの身を削って消していくと、消しかすが残る。そこに、自分たちが忘れてはいけないものがあるんだ思う。どんなにキレイに消しても跡って残りますよね?それを俺は現場で見てるから、知ってるから覚えておこうと思う。忘れないでいようと思う。忘れない事が供養だと思うから」